中央アジアから東ヨーロッパにかけて活躍した遊牧民族たち。その中でよく混同されがちな「オグール人」と「ブルガール人」は、それぞれどのような存在だったのでしょうか?この記事では、古代から中世にかけてのユーラシア史に登場するこれらの民族の違いとつながりを、やさしく解説します。
オグール人とは何者か?
オグール人(Oghur または Ogur)は、5世紀ごろから黒海北岸やカスピ海沿岸に出現したテュルク系の遊牧民族の一派で、いわゆる「古テュルク語(Oghuric)」系の言語を話していたとされます。
オグール人は大きな政治的連合体ではなく、小規模な部族連合で構成され、のちにさまざまな形で他民族に吸収・融合されていきました。その文化や言語は、現在のチュヴァシ人などに痕跡を残しています。
ブルガール人との関係と違い
ブルガール人(Bulgars)は、もともとオグール系諸部族の中の有力な一派として登場し、6〜7世紀にかけてバルカン半島へ南下しました。特に、アスパルフ率いる一団が681年に第一次ブルガリア帝国を建国したことで知られます。
つまり、ブルガール人はオグール系の一派でありながら、後に独自の国家と文化を築いた存在です。彼らは現地のスラヴ系住民と融合し、現在のブルガリア人の祖先の一部となりました。
言語的・文化的な特徴
オグール語派(Oghuric languages)は、現代のトルコ語とは異なり、たとえば「r」を語末子音とする(例:「oghur」)などの特徴があり、現存する唯一のオグール語系はチュヴァシ語です。
ブルガール人もオグール語を話していたと推測されていますが、バルカンに定住する過程でスラヴ語化され、10世紀頃にはオグール語は失われたとされます。
歴史の中での位置づけと影響
オグール人は東ローマ(ビザンツ)やアヴァール、ハザールといった帝国との接触を通じて歴史に記録されました。オグール系民族の動きは、ユーラシアの人口移動と民族形成に大きな影響を与えた存在といえます。
また、ブルガール人が築いた国家はその後のブルガリア王国につながり、オグール人の歴史が東ヨーロッパに根を張った例として興味深いものです。
ハンガリーとの関係性
ハンガリーに定住したマジャル人(ハンガリー人の祖先)も、もともとはウラル系ですが、9世紀にパンノニア盆地へ移動した際、オグール系やブルガール人と接触・混血した可能性が指摘されています。
そのため、「オグール人がハンガリー建国に関与した」と言われることもありますが、あくまで文化的・民族的な混合の一環としての関与と見るのが妥当です。
まとめ
オグール人とブルガール人は、いずれもテュルク系の遊牧民族であり、ブルガール人はオグール人の一派から発展した存在と考えられます。
ブルガール人は国家を築き、歴史に名を残しましたが、オグール人そのものは歴史の中で溶け込んでいった民族です。こうした違いを理解することで、中央ユーラシアの民族史がより立体的に見えてきます。


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