日本のインフラ整備に大きな影響を与えた人物として知られる田中角栄。とりわけ上越新幹線や関越自動車道の建設は、彼の政治的影響力と深く関わっていたとされます。この記事では、その背景や実際の整備経緯、政治との関係性について、史実をもとに分かりやすく解説します。
上越新幹線と関越道整備の背景
上越新幹線は1982年に大宮~新潟間で開業、関越自動車道は1985年に全線開通しました。いずれも日本の高度経済成長期の終盤、地方と都市部の格差是正を掲げた時代の象徴的インフラです。
当時の地方開発構想では、交通インフラを整備することで首都圏から地方へのアクセスを強化し、地域経済の振興を図る狙いがありました。
田中角栄の政治的手腕と“列島改造論”
1972年に首相となった田中角栄は『日本列島改造論』を提唱し、道路・鉄道・空港などの全国的インフラ整備を推進しました。この中で新潟出身である田中は、上越新幹線・関越道を含む新潟へのアクセス向上に強い意欲を見せていたと言われています。
特に、関越道のルートが信越自動車道と接続され、新潟県を通る構想は「角栄ルート」とも揶揄され、政治的意図が濃いと批判も受けました。
インフラ建設における政治の影響力
日本の公共事業において、地元選出の有力政治家の存在がインフラ計画の優先順位を左右することは少なくありません。上越新幹線や関越道の建設も、国全体の交通政策の一環であったと同時に、田中角栄の地元への影響も無視できない要素だったと考えられています。
国鉄末期で財政難が深刻だった時代において、計画実現には強力な政治力が必要だったともいえるでしょう。
技術・経済的合理性はあったのか?
一方で、上越新幹線のルートは地形や地質、費用対効果などの観点から検討された結果でもあり、政治だけで決定されたわけではありません。新潟は豪雪地帯であり、新幹線整備が災害時の輸送インフラとしても合理性が認められていました。
関越道も、中央道・東名に次ぐ東京~新潟間の主要動脈として、物流ルート確保の観点から計画されたものであり、全国整備計画の中に位置づけられていました。
現在の評価と歴史的意義
今日では、上越新幹線や関越道は北関東・新潟県民にとって欠かせない交通インフラとなっており、観光・物流・通勤のすべてに貢献しています。政治的背景があったにせよ、その整備による恩恵は広く国民に行き渡っています。
田中角栄の功罪は今も議論が続いていますが、地方と都市のアクセス格差を是正するための基盤を築いた点では評価されるべき側面もあると考えられます。
まとめ:田中角栄がいなければ実現しなかったか?
上越新幹線や関越自動車道は、国の交通政策と地域要望の複合的な要因で実現したものであり、田中角栄の存在はその推進力として大きな影響を与えました。しかし、それだけで整備が決まったわけではなく、技術的・経済的合理性とのバランスの中で決定されたことも忘れてはなりません。
結論として、田中角栄がいなければ“今の形”での整備はなかった可能性が高く、その影響は歴史的に非常に大きかったと言えるでしょう。


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