EF63補助機関車はなぜ軽井沢側運転台を使わなかったのか?碓氷峠運転台運用の実態

鉄道、列車、駅

碓氷峠のEF63補助機関車で、「軽井沢側の運転台は使われなかったのか?」との疑問があります。本記事では、運転台構造や安全性・設備面に着目し、なぜ横川側運転台だけが常用されたのかを明らかにします。

横川側運転台が標準だった理由

EF63は、連絡電話器や列車無線、横軽専用スイッチなどの
通信・制御機器が横川側運転台にのみ搭載されていました :contentReference[oaicite:0]{index=0}。

碓氷峠は最大66.7‰の急勾配。万が一後退事故が起きても、
横川側からは前方が見え、非常対応がしやすい構造だったのです :contentReference[oaicite:1]{index=1}。

軽井沢側運転台が使われなかった技術的背景

歴史的に見ても、アプト式電気機関車時代(ED40/42)から
軽井沢側の機器は撤去され片運転台化されてきました :contentReference[oaicite:2]{index=2}。

EF63になってもその運用方式が踏襲され、機器搭載面や視界面で
軽井沢側は構造上不利だったのです。

協調運転時の運転台運用

電車との協調運転機能はEF63に搭載され、重連操作も横川側運転台で完結します :contentReference[oaicite:3]{index=3}。

登り(軽井沢→横川)は後部補機としてプッシュ、下りは前部補機で牽引する
常に横川側がメイン操作でした。

軽井沢側運転台が非使用だった実例

運転士が軽井沢側に行くと“信号確認用の連絡”は電話か無線で行い、
運転台そのものは使われず待機だけという運用実例もあります :contentReference[oaicite:4]{index=4}。

撤去された機器を改造・再設置するより、「横川側一本化」が合理的だったのです。

まとめ:運転台の選択は安全性と効率から

  • 横川側運転台のみ通信・制御機器を装備
  • 急勾配での前方視界と非常対応に優れる配置
  • 軽井沢側は歴史的に片運転台化されていた
  • 協調運転も横川側で統一する運用が合理的

つまり、EF63は構造・安全・制御全ての理由から、常に横川側運転台が正規運用されたのです。軽井沢側は装置も視界も不揃いで、使い道がなかったのが実態でした。

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