松山駅はJRの主要駅でありながら、中心繁華街である大街道・銀天街エリアとは少し距離があり、「駅前なのに中心っぽくない」と感じる方も多いのではないでしょうか。本記事では、なぜ松山駅周辺が都市の“顔”になりきれていないのか、その背景を歴史や都市計画の観点から紐解いていきます。
松山の“中心”はもともと城下町にあった
松山市の都市構造は、松山城を中心とした城下町に基づいて形成されています。つまり、現在の大街道・千舟町周辺が発展の起点であり、市民生活や商業機能はそちら側に集中しました。
そのため、城からやや離れた位置にある現在のJR松山駅は、歴史的に「後から設けられた郊外交通拠点」だったのです。
鉄道敷設のタイミングがもたらした都市構造
JR松山駅は明治時代末期に開業しましたが、当時の鉄道は城下の中心部を避ける形で敷設されました。これは全国の都市でも見られる傾向で、防衛上・景観上の理由や用地取得の都合も背景にあります。
そのため、鉄道駅=都市の中心という現在の感覚とは異なり、当初は郊外的な位置付けで整備されたのです。
伊予鉄道の影響と中心部の分離
松山市では市民の主要な足として長年親しまれてきたのが伊予鉄道(いよてつ)です。松山市駅(いよてつ市駅)は伊予鉄の中心駅であり、大街道や銀天街に近接していることから、現在も買い物やイベントの中心とされています。
結果として、「JR松山駅」と「市のにぎわいエリア」が二極化したまま現在に至っているのです。
都市再開発による変化と課題
近年では「松山駅周辺まちづくり構想」などにより、JR松山駅前もホテルや商業施設の整備が進み、再開発による中心化の流れも見られます。
しかし、長年の生活動線や交通網の定着もあって、市民の“生活の中心”は今も松山市駅周辺にあります。この二重構造は、広島の紙屋町と広島駅の関係や、高松の瓦町と高松駅の関係にも似ています。
実際に訪れた人の声
観光客の中には「駅を出たら意外と何もなかった」「駅前より路面電車で行った商店街の方がにぎやかだった」という声もあり、駅周辺と繁華街とのギャップを感じる人は少なくありません。
一方で「最近の駅ビルは綺麗」「駅から松山城まで歩いて行ける距離なのはありがたい」といった肯定的な意見もあり、印象は人によって分かれています。
まとめ:松山駅が“街の中心”に見えにくいのは歴史的必然
松山駅が中心市街地からやや外れて見えるのは、城下町から発展した都市構造と、鉄道駅の後発的配置によるものです。
現代の再開発で駅周辺は進化していますが、伊予鉄道による生活導線やにぎわい拠点が既に強く根付いているため、現在も“ダブル中心”のような都市構造になっているのです。
松山の街並みを理解するうえで、歴史と交通の視点からその背景を知ることはとても重要です。


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