ワンマン化以前の路線バスでは車掌が案内放送していた?昔のバスの姿と役割を振り返る

バス、タクシー

現在の路線バスはほとんどがワンマン運転ですが、かつては運転士と車掌が2名体制で乗務していました。当時のバス車掌は、運賃の収受だけでなく、さまざまな案内放送や誘導も行っており、今では見られない懐かしい光景がありました。

ワンマン運転導入前のバス運行体制

1960年代〜1970年代初頭まで、多くの地域でバスは「ツーマン運転」体制でした。車掌は後方ドア近くに立ち、乗客の乗降案内や運賃の受け取り、切符の発行などを行っていました。

運転士は運転に専念し、車掌が乗客対応を担うことで、安全でスムーズな運行が可能となっていました。

広告放送や案内放送の実態

当時のバス車掌は、乗客に向けて行き先や乗り換え案内だけでなく、「◯◯へお越しの方はこちらがご便利です」などの目的地案内を口頭で行うこともありました。

例えば「次は◯◯百貨店前です。お買い物には便利な停留所です」といったようなセールスを兼ねた案内放送も実際に存在しました。これは地域密着型のサービスの一環であり、沿線の施設と連携したものでもありました。

実例:大阪市営バスや東京都営バスのケース

昭和40年代の大阪市営バスでは、車掌がマイクを使って「天王寺駅にお急ぎの方は次でお乗り換えください」などと丁寧な案内を行っていた記録があります。

東京都営バスにおいても、「浅草観光には次の停留所が便利です」といった観光案内的な放送がなされており、地域活性化にも一役買っていました。

ワンマン化による変化と音声自動放送の登場

1970年代後半からは経費削減と人手不足を背景にワンマン化が進み、車掌は廃止されました。それに伴い、案内放送も録音式や自動音声による定型的なものに置き換わっていきました。

それでも一部の観光路線では、車内アナウンスに工夫が凝らされ、観光ガイドのような情報提供が継続されている場合もあります。

昔のバス車掌の役割の魅力

車掌は単なる運賃係ではなく、移動の安心を担う接客係でもありました。乗客とのコミュニケーション、丁寧な応対、土地勘に基づいた案内は、地域交通の大切な要素でした。

バス利用者の中には、車掌の案内で初めて目的地へのアクセスを知ったという経験を持つ人も多く、その存在は「動く観光案内人」のようでもありました。

まとめ

ワンマン化される前の路線バスでは、車掌が乗客のために案内放送を行っており、「◯◯へお越しの方はこちらが便利です」といった案内も実際に存在していました。

今日では自動音声による定型的な放送が主流ですが、当時のバスには、今では失われつつある人の温かみや地域とのつながりが色濃く残されていたことがわかります。

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