対馬や壱岐に行こうとすると、福岡からの直行便が便利な一方、長崎県本土との直行航路は少なく、県のつながりに違和感を持つ方もいるかもしれません。しかし、これには歴史的・地理的・行政的な背景があります。本記事では、なぜこれらの離島が「長崎県」に属しているのかを詳しく紐解きます。
地理的には福岡寄り、それでも長崎県?
地図で見ると、壱岐・対馬は明らかに福岡県の北側に位置し、航路や飛行ルートでも福岡との結びつきが強いように見えます。
例えば、福岡〜壱岐はフェリーで約1時間、福岡〜対馬(厳原)も高速船で約2時間。一方、長崎市と壱岐・対馬を直接結ぶ定期フェリーは存在せず、佐世保を経由する必要があります。
このように物理的距離・利便性では「福岡との関係性が強い」ことは事実です。
江戸時代からの歴史的背景が鍵
対馬は江戸時代、宗氏が治める対馬藩として存在し、朝鮮通信使との外交窓口を担っていました。この対馬藩は、幕末の廃藩置県の後、1871年に一時「厳原県」となり、のちに「長崎県」に編入されています。
壱岐も同じく、廃藩置県の際に一度「壱岐県」として分離された後、1876年に長崎県へ統合されました。
つまり、明治時代の県制施行時に歴史的つながりと行政整理の一環で長崎県に編入された経緯があるのです。
行政区分としての現在の構造
現在、対馬市・壱岐市はともに長崎県の離島振興地域に指定されており、県庁所在地の長崎市ではなく、佐世保市などが事実上の窓口機能を担っています。
県としても交通・生活インフラでは福岡と連携しつつ、制度上は「長崎県民」としての位置づけを維持しています。
なぜ福岡県に編入されなかったのか?
歴史的には、壱岐・対馬が福岡の勢力圏に入った時代はほとんどなく、江戸時代まで独立性が強い地域でした。明治期の行政再編でも「福岡県」よりは「九州西部(長崎)」の枠組みに含まれたほうが自然と見なされたため、編入には至りませんでした。
また、福岡県はもともと筑前・筑後エリアが主軸で、宗氏や壱岐の歴史とは系譜が異なることも一因です。
実際の生活圏は「福岡寄り」なのが現実
壱岐・対馬の多くの住民は、買い物・通院・進学・交通など生活上は福岡市を利用しています。船・飛行機ともに福岡発着が圧倒的で、行政区分と生活圏がずれている典型例といえるでしょう。
しかし、地域振興や文化行事の面では長崎県と強い結びつきを維持しており、両者のハイブリッドな存在として機能しています。
まとめ:長崎県である理由は歴史と行政によるもの
・対馬・壱岐が長崎県であるのは、明治期の行政整理と江戸時代の歴史的つながりによるもの
・地理的・生活的には福岡との結びつきが強いが、法的には長崎県民
・「不便だから県を変える」ことは難しく、むしろ歴史的文脈と現在の県境の在り方を知ることで納得が深まる
壱岐・対馬の立ち位置は、地理・行政・文化が交差する日本の離島地域を理解するうえで非常に興味深い事例といえるでしょう。


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