横浜ドリームランドモノレールが廃線後も線路跡が残っていた理由と撤去までの経緯

鉄道、列車、駅

かつて横浜ドリームランドと大船駅を結んでいた幻のモノレール、通称ドリームランドモノレールは、1967年の運行休止後も廃線から長期間、線路や橋桁が残っていたこともあり、その謎に興味を持つ方も多いでしょう。

■ 廃線から正式廃止までの経緯

1967年に運行休止となった後も、正式な廃止手続きは2003年まで実施されず、路線は「休止中」であり続けました。そのため撤去措置は進まず、構造物が残った状態が続いたのです :contentReference[oaicite:0]{index=0}。

また、再利用や再開の検討も複数回持ち上がり、特にHSST磁気浮上方式への転換案が1995年以降検討されましたが、住民の反対や資金不足で実現せず、結果的に放置されてしまいました :contentReference[oaicite:1]{index=1}。

■ 線路や橋脚が残存した背景

正式な廃止宣言が遅れたことで、運輸局や敷地所有者が撤去命令を出しにくい状態が続きました。

また、撤去工事には多額の費用と安全対策が必要であり、再開の可能性も考えられていたため、決断が先延ばしにされていたのです :contentReference[oaicite:2]{index=2}。

■ 撤去に至った決定打

2002年2月に横浜ドリームランドが閉園され、その後ダイエーが路線再開を断念したことで、再活用の可能性は断たれました :contentReference[oaicite:3]{index=3}。

その結果、2005年頃までに大規模な撤去工事が行われ、線路・車両・設備の多くが取り除かれましたが、一部の橋脚や軌道跡は地中に埋められたり、フェンスなどで遺構として残りました :contentReference[oaicite:4]{index=4}。

■ 現在の遺構はどこに残っている?

大船駅付近では、土中に埋まった基礎部や遺構の一部が住宅地や公共地の地形に痕跡として残っています。

また山間部などでは、かつての線路跡に沿って散策路やフェンスが設置され、“モノレール跡”として地元の記憶を留めています :contentReference[oaicite:5]{index=5}。

■ 放置が長期化した教訓と影響

この廃線が長年放置された背景には、設計ミスによる早期休止、再開計画の迷走、行政責任の曖昧さ、撤去コストの問題など、多くの要因が絡みます。

交通インフラの撤去は運営の打ち切りだけでなく、法的・経済的な側面も考慮される必要があるという教訓を示してくれました。

まとめ

ドリームランドモノレールの遺構が長く残っていたのは、「正式廃止の遅れ」「再開構想」「撤去費用の負担」など複合的な事情が重なった結果です。

現在も一部に見られる基礎や痕跡は、日本の交通史と高度成長期の産物を考えるうえで、貴重な証言となっています。

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