東京・港区の麻布十番といえば、下町情緒と高級住宅街が共存する人気エリアです。しかし「なぜ麻布は十番しかないのか?」という疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。実は、麻布エリアにはかつて一番から十番までの町名が存在していました。本記事では、消えてしまった麻布一番〜九番の背景と麻布十番がなぜ唯一残ったのかを、歴史と都市政策の観点からひもといていきます。
麻布一番〜十番の成り立ちとは
明治時代から昭和中期にかけて、麻布地域には「麻布一番町」「麻布二番町」などの町名が存在していました。これは住居表示法以前の住所体系で、旧麻布区の一部として区画整理された町名です。
たとえば「麻布三番町」は現在の南麻布付近、「麻布五番町」は六本木に隣接する区域など、現在とは異なる町名体系で整備されていたのです。
町名変更と住居表示制度の影響
1960年代以降、全国的に「住居表示に関する法律」に基づく町名整理が実施され、複雑だった町名は廃止・統合される動きが進みました。この中で、麻布一番〜九番町の多くが「西麻布」「東麻布」「元麻布」「南麻布」などの新しい町名に統合・再編されました。
町名変更の目的は郵便配達や行政処理の簡便化。古くからの住民感情と行政合理性の間で議論もありましたが、全国で同様の整理が行われた一例です。
なぜ「麻布十番」だけが残ったのか
「麻布十番」は、古くから商店街を中心とした街並みと地名が住民に強く根付いていたため、町名変更の際にも残されました。また、麻布十番商店街としてのブランド価値や地域アイデンティティも保持されていたことが理由と考えられます。
結果的に、麻布地域で旧町名がそのまま現代に残っているのは「麻布十番」のみとなりました。
比較:立川市砂川との違い
立川市砂川町の「一番〜十番」の構成は、戦後の土地整理や団地開発と密接に関係しており、エリアの整理が近代的に行われた例です。東西に整然と並んだ区画が命名された形で、東京都心部とは都市開発のアプローチが異なります。
一方で麻布エリアは江戸時代以前からの歴史的な町割りが複雑に絡んでおり、その再編には地元住民との調整が重要でした。この違いが「十番だけが残った」理由の一端です。
現在も残る旧町名の名残
現在でも「麻布十番祭り」や「十番商店街」などに旧地名文化が色濃く残っています。また、西麻布・元麻布といった現行町名も、旧麻布地域の名残を感じさせる名称として住民に親しまれています。
また、不動産情報などでも「麻布アドレス」は高級ブランドの一角として依然人気が高く、地名そのものの価値が今もなお生き続けているといえるでしょう。
まとめ:町名から見える東京の都市史
「麻布十番しかない理由」は、単なる町名の有無ではなく、戦後の都市政策と地元文化のバランスの中で選ばれた結果でした。町名変更は全国で行われた制度的なものである一方、麻布十番は地域の歴史・文化が守られた象徴的な存在として今日も残り続けています。


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