なぜ横川〜軽井沢間だけ在来線が廃止されたのか?信越本線の分断理由と背景を解説

鉄道、列車、駅

新幹線開業時には在来線の一部が第三セクターに移管され、普通列車の運行も継続されるケースが多い中、1997年に長野新幹線(現・北陸新幹線)が開業した際、信越本線の横川〜軽井沢間だけが完全に廃止され、現在に至るまで普通列車での移動が不可能となっています。本記事では、この区間だけ在来線が存続しなかった理由を、地形的・経済的・技術的観点から掘り下げて解説します。

信越本線の分断:どこが残りどこが消えたのか

長野新幹線開業にともない、信越本線は以下のように再編されました。

  • 高崎〜横川:JR東日本として存続
  • 横川〜軽井沢:完全廃止
  • 軽井沢〜篠ノ井:しなの鉄道として第三セクター化
  • 篠ノ井〜長野:JR東日本として継続

つまり、横川〜軽井沢間のみが鉄道としての接続を失った特異な例です。

碓氷峠の地形と運行コストの壁

横川〜軽井沢間は「碓氷峠(うすいとうげ)」と呼ばれる急勾配区間で、最大66.7‰(パーミル)の勾配という日本有数の急坂でした。

このため、この区間では特殊な補助機関車「EF63形電気機関車」を横川で連結し、ブレーキ補助や登坂を行っていました。運行には特殊な訓練を受けた運転士が必要で、コストも通常の路線と比べて非常に高かったのです。

第三セクター移管が不可能だった理由

軽井沢〜篠ノ井間は地形が比較的穏やかであったため「しなの鉄道」が設立され、経営が可能と判断されました。一方、横川〜軽井沢間は鉄道車両・施設ともに特殊すぎて代替運行が困難とされ、第三セクターでの維持は「採算性ゼロ」と判断されました。

加えて、バスや道路(碓氷バイパス・旧道)が整備されていたことも、廃止の判断を後押ししました。

地元住民・鉄道ファンの反応とその後

廃止当初は、地元から「観光路線としての維持を望む声」や「しなの鉄道による代替運行」への期待もありました。

しかし、線路や設備の撤去、運行技術の継承の難しさにより実現には至らず、現在は廃線跡が「碓氷峠鉄道文化むら」として保存活用されています。観光列車やトロッコ運行は一部残されていますが、日常的な鉄道移動手段としての復活は見込まれていません。

まとめ:横川〜軽井沢間だけ鉄路が消えた理由

信越本線のうち、横川〜軽井沢間のみが廃止された背景には、極端な勾配、特殊設備、高コスト、代替困難な車両維持という要因が重なっていました。

さらに、新幹線開業による速達性向上と道路インフラの整備もあり、鉄道としての必要性が薄れたことが決定打となりました。他の新幹線並行在来線では第三セクター化が多く見られる中、この区間のみが廃止されたのは、こうした「技術的・経済的限界」が背景にあったのです。

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