かつて国鉄の普通列車には、郵便・荷物専用の車両(いわゆる「荷物車」「郵便車」)が連結されていました。駅での荷物積み下ろしはどちらの方向の列車に対して行われていたのか、また構造上の制限や安全面への配慮はどうされていたのか、国鉄時代の現実的な運用とともに紐解いていきます。
荷物車・郵便車の基本構造と連結位置
国鉄時代に活躍していたスユニ61、オユ10、マニ60などの旧型客車は、いずれも車両の片側に大きな荷物扉が設けられていました。これらはホーム側に面するように設計されており、車両の両側から積み下ろしできる構造ではないことが多かったのです。
このため、荷物の出し入れを前提とする駅では、ホームに面した側に車両のドアが来るよう、列車の方向やホームの位置に応じて運用が調整されていました。
駅の構造によって荷物の積み下ろし方向が決まっていた
多くの駅では片面ホームしかなく、荷扱い用の出入口が設けられたホームは「上り線側」あるいは「下り線側」のどちらかに限定されていました。つまり、荷物車を横付けできるのは、そのホーム側を向いた列車に限られたのです。
そのため、例えば「上りホーム側にしか荷扱い口がない駅」では、上り列車でのみ荷物を扱い、下り列車では荷扱いが行われない、という運用が一般的でした。
下り列車での荷扱いはどうしていたのか?
一部の主要駅では島式ホームや対向式ホームを持ち、上り・下り両方向に荷扱いが可能な構造になっていました。そこでは駅構内に荷物搬送用の通路や専用通路、さらには台車を使った横断設備が整備されていたこともあります。
ただし、地方の小駅では構内踏切や線路横断によって台車を押して荷物を移動させることもあったとされ、安全性の観点から、こうした運用は徐々に見直されていきました。
実際に使われていた「荷物カート」と構内横断の現実
記憶に残る人も多い、手押しの車輪付き荷物カゴ(スチール製の台車)は、駅構内での荷物運搬に欠かせない存在でした。これらは構内の荷物室からホーム上の荷物車まで短距離を走行させるために使われ、簡易なスロープや段差回避のための板が設置された例もありました。
安全の観点から、線路を跨ぐ運用は極力避けられましたが、小規模駅では現実として「線路を横切って台車を運ぶ」例も存在していたことは記録としても証言としても残っています。
今でも残る“荷物扱い跡”の痕跡
現在でも、地方の旧国鉄駅では、かつて荷物室や荷扱い場だったと思われる空間がホーム端や駅舎に残っていることがあります。例えば、倉庫のような扉が残っていたり、柵で囲われた搬出口がポツンと取り残されているケースです。
また、バリアフリー化されていない駅では、古い構造のまま残された跨線通路が、かつての台車横断の名残とも見て取れます。
まとめ:荷扱いは基本的に片側のみ、構造と安全性で制限されていた
国鉄時代、荷物の出し入れは基本的にホーム側に限定されており、駅の構造や安全性の面から「どちらの方向の列車で荷扱いを行うか」は明確に分けられていました。荷物カートでの線路横断は一部で行われていたものの、原則として避けられるべきものでした。
今もその面影は駅の端々に残されており、往時の物流インフラの一端を感じられる貴重な歴史の痕跡として見ることができます。


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