かつて日本の国道は「一級国道」と「二級国道」に区分されていましたが、1959年および1963年の大規模な路線再編により、多くの二級国道が一級国道へ昇格しました。なぜこのような昇格が行われたのでしょうか。本記事では、当時の法制度や政策背景、文献上の根拠をもとに、その理由を体系的に解説します。
一級国道・二級国道とは何か
1952年(昭和27年)施行の道路法(昭和27年法律第180号)により、国道は「一級国道」と「二級国道」に区分されました。
同法第5条では一級国道を「国土を縦断し、又は横断する重要な幹線道路」と規定し、第6条では二級国道を「主要な都市を連絡する道路その他国土交通上重要な道路」と規定しています。
つまり制度上は、国家的幹線が一級、地域間連絡が二級という位置付けでした。
1959年・1963年の昇格の背景
高度経済成長期に入り、自動車交通量は急増しました。従来は地域間道路とされていた二級国道の中にも、実質的に広域幹線として機能する路線が増加していました。
そのため、1959年(昭和34年)および1963年(昭和38年)4月1日に大規模な路線再編が実施され、多くの二級国道が一級国道へ昇格、あるいは統合・番号変更されました。
1963年の改正では、建設省告示により一級国道の指定が大幅に見直され、事実上、幹線機能を持つ二級国道が整理統合されたのです。
昇格の具体的な理由
挙げられている各路線(例:旧国道108号→一級国道47号、旧国道122号→一級国道50号など)には共通点があります。
- 地方中核都市間を結ぶ横断幹線であった
- 港湾・工業地帯・主要都市を接続していた
- 交通量の増加により幹線機能が強化された
- 複数路線を統合して広域幹線へ再編された
例えば、旧国道108号(石巻酒田線)は東北横断幹線としての重要性が高まり、一級国道47号へ昇格しました。また旧国道122号(前橋水戸線)は関東横断幹線として機能強化が図られ、一級国道50号となりました。
このように昇格は単なる格上げではなく、国土幹線網の再編成という政策的意図のもとで行われました。
1965年の制度廃止との関係
さらに重要なのは、1965年(昭和40年)の道路法改正です。この改正により「一級国道」「二級国道」の区分は廃止され、すべて「一般国道」に一本化されました。
つまり、1959年・1963年の昇格は、後の制度統合に向けた段階的整理とも解釈できます。実質的な幹線道路を一級に集約し、その後区分自体を廃止する流れだったのです。
文献上の位置付け
当時の建設省資料や『道路行政史』では、高度経済成長に伴う幹線道路整備の必要性が繰り返し言及されています。道路法第5条の「国土を縦断し、又は横断する重要な幹線道路」という文言が、昇格の法的根拠となっていました。
各路線の昇格日は、官報告示(1959年4月1日、1963年4月1日)によって正式に指定変更が行われています。
まとめ
二級国道が一級国道に昇格した理由は、単なる格付け変更ではなく、高度経済成長期における国土幹線道路網の再編・強化政策の一環でした。
交通量の増大、地方中核都市の発展、広域経済圏の形成といった社会的背景の中で、実質的に幹線機能を持つ路線が一級国道へと再編され、最終的には1965年に区分そのものが廃止されました。
この一連の流れは、日本の戦後道路行政の転換点を示す重要な出来事といえます。


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