1970年に大阪・吹田で開催された日本万国博覧会(通称 大阪万博・Expo ’70)は、多くの国々が参加した世界的イベントでした。その会場には各国パビリオンが建ち並び、当時の文化交流の象徴が多数設置されました。
この記事では『フィリピン館の“手型”』など万博の痕跡が現在どのように残されているか、そして跡地がどのように利活用されているかをわかりやすくまとめています。
大阪万博のフィリピン館とは?
1970年の大阪万博には77の国と地域、そして企業・団体がパビリオンを出展しました。
フィリピン館もその一つとして参加し、地元建築家が設計した建物や展示が人気を集めましたが、現在オンラインで当時の“手型”について公的に整理された記録は見つかっていません。
※フィリピン館自体や展示物の詳細については公的なExpo70資料・展示会などで断片的な情報が紹介されていますが、特定の“手型”保存・所在情報は確認できませんでした。これは多くの展示物が万博終了後に撤去・解体されたことが影響しています(Expo ’70跡地では多くのパビリオンが現存していません)。
Expo ’70の跡地はどうなっている?
万博の会場だった場所は現在、「万博記念公園」として整備されています。
ここには当時の象徴的な作品「太陽の塔」が保存・展示され、訪れる人々が50年以上前の万博の風景を感じられるスポットとなっています。
その他のパビリオンの多くは万博後に解体され、跡地に残る遺構はごく一部に限られているため、フィリピン館の展示物や“手型”のような記念物がそのまま保存・展示されている例は基本的にありません。
“手型”や記念物の保存・資料について
万博関連の展示物や資料は、万博記念公園内の博物館・展示施設や民間の収蔵品として保存・公開されることがあります。
とはいえ、パビリオンごとの細かな展示物すべてが体系的に収集・公開されるわけではなく、特定の“手型”や個人に関わる記念物は一般公開されていないケースがほとんどです。
例えば、万博開催50周年の展示・資料展では各国パビリオンの模型・写真・映像が紹介されることがありますが、個別の“手型”に関する資料については名前付きで残されている公的リストは見当たりません。
行って確認するならどこ?
現在の万博記念公園では、下記のような展示・資料が見られます。
- 太陽の塔(保存・展示)
- 万博記念公園内の博物館・展示スペース
- 年次・特別展示での万博関連資料
こうした場所では写真やパビリオンの背景資料が閲覧できる場合がありますが、個々の展示パーツや“手型”そのものの保存・展示場所として確約された情報はありません。
まとめ:手型そのものは公的には確認されていない
1970年大阪万博のフィリピン館に関する“手型”や個別の展示物が、現在どこかに保存・展示されているという公的な情報は見つかっていません。多くのパビリオンと同様にフィリピン館の展示物も万博終了後に撤去・散逸した可能性が高いと考えられます。
万博記念公園・博物館などではパビリオン全体の資料や写真が展示されることがあるため、当時の思い出や背景を知るためには現地の展示を訪れて確認するのが一つの方法です。


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