日本の都市を歩いていると、中央に大きな公園や緑地があり、その両側に車道が通っている非常に幅の広い道路を目にすることがあります。代表例として知られているのが、名古屋市の久屋大通や広島市の平和大通りです。これらは一般に「100m道路」と呼ばれています。
一方、札幌市中心部の大通公園も非常によく似た都市景観を持っています。中央に細長い公園があり、その南北に道路が通っているため、全体を見ると100m前後の幅があるように見えます。実際、札幌市の資料によれば、大通の歴史的な幅は58間、約105mでした。それでは、なぜ札幌の大通公園は名古屋や広島と同じように「100m道路」と呼ばれることが少ないのでしょうか。歴史と都市計画上の違いを整理します。
そもそも「100m道路」とは何なのか
「100m道路」は、単純に幅が100m以上ある道路をすべて指す一般的な道路分類ではありません。日本では特に、第二次世界大戦後の戦災復興都市計画によって計画された非常に幅の広い街路を指して使われることが多い言葉です。
戦災で大きな被害を受けた都市では、復興に合わせて道路、公園、防災空間などを大規模に再配置する都市計画が進められました。その中で幅員100m級という当時としては非常に大きな道路が計画され、名古屋と広島に実際に整備された道路が現在まで残っています。
したがって、「幅がおよそ100mあること」と「歴史的・都市計画上100m道路と呼ばれていること」は必ずしも同じではありません。ここを区別すると、札幌の大通公園との違いが分かりやすくなります。
日本で「100m道路」として知られる代表的な道路
100m道路の代表例として挙げられるのが、愛知県名古屋市の「久屋大通」と「若宮大通」、そして広島県広島市の「平和大通り」です。
| 都市 | 代表的な道路 | 特徴 |
|---|---|---|
| 名古屋市 | 久屋大通 | 幅員約100m。中央部に久屋大通公園がある |
| 名古屋市 | 若宮大通 | 戦災復興計画によって整備された広幅員道路 |
| 広島市 | 平和大通り | 幅100mの平和記念道路として戦後復興の中で整備 |
国土交通省の資料でも、久屋大通について「幅員約100m」とされています。また広島についても、戦後の復興事業により市内を東西に貫く幅100mの平和記念道路、現在の平和大通りが整備されたことが説明されています。
つまり、この3路線が100m道路として語られる背景には、単なる道路の広さだけではなく、戦災復興都市計画という共通した歴史があります。
札幌の大通公園は実際に100mくらいあるのか
札幌の大通公園を見ると、名古屋の久屋大通と非常によく似ています。公園が街の中心を細長く延び、その両側に道路があります。そのため「道路と公園を全部合わせれば100mくらいあるのでは」と感じるのは、数字の上でもかなり正確です。
札幌市の歴史資料によると、明治初期の札幌の都市建設では、市街地の中心に東西方向の幅58間(約105m)の火防線が設けられました。この空間が後に現在の大通公園へと発展しています。
つまり、歴史的な都市空間として見れば、札幌の大通は約105mの幅を持っていたことになります。「100mくらいありそう」という感覚はほぼその通りです。札幌市も公式資料でこの約105mという数字を示しています。[参照]
それでも札幌が一般に「100m道路」に数えられない理由
最大の理由は成立した時代と目的が異なることです。札幌の大通は戦後に造られたものではありません。その原型は明治初期、札幌の街そのものが建設された時代までさかのぼります。
1871年(明治4年)の都市建設では、札幌の中心部を南北に分ける幅58間(約105m)の火防線が設けられました。文字通り、火災が広がることを防ぐための広い空間としての意味を持っていました。その後、この空間が公園として整備され、現在の大通公園につながっています。
これに対して名古屋や広島の100m道路は、第二次世界大戦後の戦災復興を背景として整備されたものです。そのため、見た目や幅は似ていても、都市計画史上は別の系譜に属しています。
久屋大通と大通公園がよく似て見える理由
札幌の大通公園と名古屋の久屋大通を見比べると、中央に大規模な緑地・公園空間を設け、その両側を道路が走るという構造が似ています。特に上空から見ると、細長い緑の帯が都市中心部を貫いているため、非常によく似た印象になります。
ただし、久屋大通は道路として約100mの幅員を持ち、その道路空間の中央部に久屋大通公園があります。国土交通省の資料では、久屋大通について延長約1.8km、幅員約100mとされています。
札幌の場合は、現在の大通公園そのものが札幌市の都市公園として扱われています。札幌市の施設情報では、大通公園は中央区大通西1丁目から12丁目に位置する公園として案内されています。[参照]
札幌の大通が広く造られた背景
札幌は江戸時代から自然発生的に発達した城下町ではなく、明治時代に開拓使によって計画的に造られた都市です。現在も中心部に碁盤の目状の道路が多いのは、その都市計画の名残です。
札幌市によると、1871年の都市建設では街路を約109m四方に区切り、幅約20mの道路を設置するとともに、市街地中央に幅約105mの火防線を設けました。北側を官地、南側を民地として分ける役割も持っていました。
この広大な空間は、その後さまざまな用途に使われながら公園化されていきました。現在では、さっぽろ雪まつりをはじめとするイベントの会場としても知られ、札幌を象徴する都市空間になっています。
「道路の幅」と「公園を含めた都市空間の幅」は区別すると分かりやすい
この話を理解するときに注意したいのが、「何を道路の幅として測っているのか」です。中央分離帯が数メートルある一般的な道路なら単純ですが、久屋大通や大通公園のような巨大な中央空間を持つ場所では少し複雑になります。
例えば久屋大通では、道路区域の中に大規模な中央公園が存在する形になっています。一方、大通公園は現在、札幌市が管理する都市公園として明確な存在になっています。そのため、両側の道路と中央の公園をまとめた見た目の幅だけを比較して「同じ100m道路」と判断することはできません。
言い換えれば、物理的な幅が似ていることと、道路行政・都市計画上の分類が同じことは別問題なのです。
広島の平和大通りも中央部分を緑地として活用している
広島の平和大通りも、単にアスファルトの車道が100m並んでいるわけではありません。広い道路空間には緑地帯などが設けられており、道路でありながら都市の緑や防災空間としての役割も持っています。
国土交通省中国地方整備局の資料では、広島の戦後復興について、1949年の広島平和記念都市建設計画法を背景に、市内を東西に貫く幅100mの平和記念道路(平和大通り)が整備されたことが説明されています。[参照]
札幌・名古屋・広島はいずれも「広大な中央空間と道路」という共通点を持っていますが、札幌は明治期の計画都市、名古屋と広島は戦災復興都市計画という成立過程の違いがあります。
まとめ:札幌の大通は約105mだが「100m道路」とは別の歴史を持つ
札幌の大通公園周辺について「公園と両側の道路を含めると100mくらいあるのでは」という見方は、歴史的な幅から考えるとかなり的確です。札幌市の資料では、大通の原型となった火防線は幅58間、約105mだったとされています。
しかし、日本で一般に「100m道路」と呼ばれている名古屋の久屋大通・若宮大通や広島の平和大通りとは成立事情が異なります。これらが戦後の戦災復興計画によって整備されたのに対し、札幌の大通は1871年の都市建設時に設けられた火防線を起源としています。
そのため、札幌にも「100mを超えるほど広い大通の都市空間」は存在するものの、歴史的な意味で名古屋・広島と並ぶ「100m道路」として紹介されることは通常ありません。見た目がよく似た3都市の大通を比較すると、日本の都市がそれぞれ異なる時代と目的によって形成されてきたことが分かります。


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