1985年11月下旬から1ヶ月間、サンパウロにあるペンション荒木に宿泊した経験について振り返ります。この宿での滞在は、当時の生活の中で印象深い出来事がたくさんありました。今回は、ペンション荒木についての思い出と、当時の様子を紹介します。
ペンション荒木との出会い
私がペンション荒木を見つけた経緯は今となっては不明ですが、宿代が月額30米ドルで前払いという非常にリーズナブルな料金が記憶に残っています。宿泊を決めた理由はその価格帯の手頃さと、他の宿に比べて日本人の客が多かった点も一因だと思います。
宿泊前に聞いた話では、私が到着する一週間前にピストル強盗が入ったとのことで驚きましたが、私の滞在中は特にトラブルもなく無事に過ごすことができました。
ペンション荒木の客層
このペンションには、ほとんどが日本人の客で、特に印象に残っているのはアメリカで働いていた後、またブラジルに遊びに来ている人々が多かったことです。お金がなくなれば再びアメリカに戻って働くという、どこか流浪のような生活をしている人々が多く見受けられました。
このような生活を送っている人々との出会いは、私にとっても大きな影響を与える経験でした。今思うと、若い頃に経験したこうした出会いが自分にとっての財産となったように感じます。
ペンション荒木の閉館とその後
ペンション荒木は、2017年頃までは営業していたものの、現在は閉館してしまったと聞いています。そのため、私が滞在した後の思い出も、今では思い出深いものとなりました。
閉館の原因については詳しく知りませんが、時代とともに宿の運営が難しくなったのだろうと想像しています。それでも、あの頃のペンション荒木は、サンパウロにおける小さな日本人コミュニティのような存在で、そこでの経験は貴重なものでした。
まとめ:思い出に残るペンション荒木
ペンション荒木は、1980年代後半のブラジルでの貴重な思い出を作ってくれた場所でした。リーズナブルな宿泊料金、他の旅行者との交流、そして何よりも、時折起きる事件や出来事が、今でも鮮明に記憶に残っています。ペンションが閉館してしまったことは残念ですが、あの場所で過ごした日々は今でも心に残る素晴らしい体験です。

コメント
私もあなたと同じ頃、1985年の11月下旬から1ヶ月ペンション荒木に滞在しました。滞在の一週間前らピストル強盗がはいりました。おそらく私と一緒に滞在した方だとおもいます。
ペンション荒木の泊まり客数名とリオデジャネイロにいきました。そのなかでブラジル人女性に空手のわざを使って鼻から出血させた空手家がいました。この現場にあなたはいましたか。
私はラテンアメリカ各国をめぐり、ブラジルにつきました。1ヶ月たって12月23日にスペインのマドリードに着きました。