189系あさまのパンタグラフ運用の謎に迫る:両方上げて走っていたのか?

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かつて信越本線を颯爽と駆け抜けた特急「あさま」。その主力車両だった189系は、今でも多くの鉄道ファンの記憶に残っています。中でも話題に上がるのが、屋根上に2基設置されていたパンタグラフの運用実態です。今回は、その疑問について詳しく紐解いていきます。

189系のパンタグラフ構成とは

189系は基本的に、電動車(モハ189形など)に2基のパンタグラフ(PS23形など)を搭載していました。これは碓氷峠越えで必要だった協調運転や、連続した急勾配区間での安定した集電を目的としていました。

実際の編成では、パンタグラフ付きの車両が2両以上編成中に存在することが多く、それぞれが1基ずつ上げることで全体の電力を確保する形が一般的でした。

2基とも上げて走るケースはあったのか?

189系が碓氷峠を含む区間を走っていた時代、両方のパンタグラフを同時に上げていたケースは確かに存在していました。

これは安定した電力供給と集電トラブルのリスクを回避する目的があり、特にトンネルが多く架線条件が厳しい区間では、2基同時上昇が運用上必要とされていました。

後年、1基のみ使用へ変更された理由

信越本線の横川~軽井沢間が廃止され、碓氷峠越えが不要となったことで、パンタグラフの2基運用の必要性が低下しました。

結果として、保守コストやトラブルリスクの低減を目的に、1基のみに集電を統一。もう一方は撤去または使用停止とされました。

撤去前の運用実例

例えば、長野総合車両センター所属のN101編成(元あさま車両)は、リバイバル運転や臨時運用でもパンタグラフ1基のみを使用する形が多く、2基同時使用はごく限定的でした。

とはいえ、碓氷峠越えの現役時代には、2基とも上昇させていた時代の写真や記録が複数存在しています。

まとめ:2基上げていた時期も確かにあった

189系「あさま」は、運用時期や区間によってパンタグラフ運用が変化した車両でした。碓氷峠越えなど厳しい条件下では両パンタグラフを上げていたこともありましたが、晩年は1基使用が標準化され、最終的には撤去された編成も見られました。

このような運用の変遷は、鉄道車両の技術進化と運用効率化の歴史を物語っているとも言えるでしょう。

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