戦後から昭和30年代にかけて、修学旅行や団体旅行では長崎から熊本方面へフェリーや連絡船で移動することが一般的でした。当時の写真には紙テープを投げ合う光景もよく見られ、港の記憶として残っている方も多いようです。今回のテーマは「川松島港」と記録されている港についてです。
川松島港の名前の由来と誤記の可能性
「川松島港」という名称は、現在の地図や港湾リストには見当たりません。考えられるのは松島港(熊本県上天草市)の誤記、または当時の呼称違いです。松島は天草五橋の一つとして知られ、昭和期には熊本本土と天草諸島を結ぶ玄関口として活用されていました。
「川」の文字は地名や写真アルバムの誤植、あるいは現地での通称だった可能性が高いと考えられます。
長崎〜熊本を結んだ修学旅行航路
当時は高速道路が未発達であり、修学旅行では船を使うのが一般的でした。長崎港から熊本方面へは、松島や三角港を経由して天草・熊本市内へ入るルートがありました。
例えば、長崎港から熊本・三角港への定期航路が存在し、そこから鉄道やバスで熊本市へ移動する団体旅行も多かったことが記録されています。
テープ投げの風習
紙テープを甲板から投げ合う風習は昭和期の港でよく見られました。特に修学旅行生が港を出発する際に、仲間や見送り人と別れを惜しむ象徴的なイベントでした。松島港や三角港もそうした場面が数多く見られた場所です。
松島港と現在の姿
松島港は現在も天草諸島への拠点として活用されています。フェリー航路は大きく変化しましたが、地域の交通の要衝であった歴史は今も息づいています。修学旅行で訪れた方にとっては「川松島港」と記録されたその場所が、実際には松島港であった可能性が非常に高いでしょう。
まとめ
65年前の「川松島港」という港は、熊本県の松島港を指していると考えられます。地名の誤記や当時の呼称の違いによって混乱が生じたものと思われます。当時の修学旅行では長崎から熊本への移動に松島港や三角港が多く利用され、そこで紙テープを投げる風景が思い出として残っているのでしょう。記録写真を手がかりに、当時の旅をもう一度振り返ってみるのも興味深いかもしれません。


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