石川県の能登半島には、かつて輪島駅と穴水駅を結ぶ鉄道路線がありました。現在は列車が走っていないため、当時を知らない人からすると「利用者が少ない過疎路線だったのでは?」と思うかもしれません。
輪島~穴水間は最終的に2001年に廃止されましたが、その背景を理解するには、単純に沿線が過疎地域だったかどうかだけでなく、人口減少、モータリゼーション、鉄道利用者数、路線の成り立ちなどを整理する必要があります。また、「のと鉄道の廃線」という場合、輪島方面と蛸島方面を混同しやすい点にも注意が必要です。
輪島~穴水間はどのような鉄道路線だったのか
穴水駅から輪島駅までの区間は、もともと国鉄七尾線の一部として整備された区間です。1991年に七尾線の一部がJR西日本から第三セクターの「のと鉄道」へ移管され、穴水~輪島間ものと鉄道七尾線として運行されるようになりました。
つまり、最初から「のと鉄道が建設したローカル線」だったわけではありません。国鉄、JR西日本を経て、第三セクターののと鉄道が運営するようになったという歴史があります。
穴水駅と輪島駅の間には、能登三井駅や能登市ノ瀬駅などが設置されていました。輪島は奥能登を代表する都市の一つであり、輪島駅も地域の交通拠点として長く利用されていました。
輪島~穴水間は「過疎っていた」のか
沿線を大きな都市圏と比較すれば、人口密度が低く、人口減少の影響を受けやすい地域だったことは確かです。しかし、「沿線にほとんど人がいなかったから廃線になった」と考えると実態を単純化しすぎます。
終点だった輪島は市街地を持つ地域であり、観光地としても知られています。輪島朝市などを目的に訪れる観光客もいるため、鉄道が単に人家の少ない地域だけを走っていたわけではありません。
一方、途中区間には人口の少ない地域もありました。地方鉄道では、終点にある程度まとまった人口があっても、途中駅の利用者が少なく、路線全体では十分な乗客数を確保できないケースがあります。輪島~穴水間を見る場合も、終点の輪島だけではなく路線全体の需要を見ることが重要です。
利用者減少には自動車の普及が大きく影響した
地方鉄道の利用者が減った大きな要因として挙げられるのが、いわゆるモータリゼーションです。自家用車が普及すると、鉄道駅から離れた場所に住む人ほど、自宅から目的地まで直接移動できる自動車を利用しやすくなります。
例えば、自宅から駅まで車で移動し、列車を待ち、目的地の駅からさらにバスなどへ乗り換える必要がある場合、自家用車でそのまま目的地へ行った方が便利になることがあります。道路整備が進むほど、この差は地方部で大きくなりやすくなります。
人口減少と自動車への移動手段の転換が同時に進めば、鉄道利用者はさらに減少します。鉄道は線路、駅、車両、信号設備などを維持する必要があるため、乗客が少なくなっても一定の維持費が発生する点も地方路線にとって大きな問題になります。
なぜ第三セクター化しても輪島まで残せなかったのか
第三セクター鉄道への移管は、地方路線を存続させるために採用される方法の一つです。しかし、運営会社を変更しただけで利用者そのものが増えるわけではありません。
のと鉄道も地域輸送を担いましたが、利用者の減少という構造的な問題を抱えていました。その結果、穴水~輪島間は2001年3月31日の運行を最後に廃止され、翌4月1日から鉄道による輪島へのアクセスはなくなりました。
したがって、この区間の廃止は「輪島に人がいなかった」という一つの理由で説明するより、沿線人口の減少、自家用車への移行、利用者減少、鉄道を維持するコストなどが重なった結果として理解する方が実態に近いでしょう。
「輪島~穴水間」と「穴水~蛸島間」は別の廃線
のと鉄道の歴史を調べる際に特に混同しやすいのが、輪島方面の路線と珠洲・蛸島方面の路線です。この2つは別の区間で、廃止された時期も異なります。
| 区間 | のと鉄道での路線 | 廃止時期 |
|---|---|---|
| 穴水~輪島 | 七尾線 | 2001年4月1日 |
| 穴水~珠洲~蛸島 | 能登線 | 2005年4月1日 |
輪島へ向かっていたのは穴水から北西方向へ延びる路線です。一方、旧能登線は穴水から能登半島東側を通って珠洲・蛸島方面へ延びていました。「のと鉄道の廃線」と一括りにすると、この2路線の歴史が混ざってしまうため注意が必要です。
現在ののと鉄道はどこを走っている?
輪島方面と蛸島方面の廃止後ものと鉄道そのものがなくなったわけではありません。現在は七尾~穴水方面で鉄道輸送を担っています。
このため現在の路線図だけを見ると、「以前は輪島まで鉄道があった」ということ自体が意外に感じられるかもしれません。旧輪島駅周辺などには、かつて鉄道が走っていたことを伝える痕跡や歴史があります。
なお、能登半島では2024年の能登半島地震によって鉄道を含む交通インフラも大きな影響を受けました。運行状況や現在の交通情報を確認する場合には、過去の路線情報とは分けて、のと鉄道など交通事業者の最新情報を確認することが大切です。
地方鉄道の廃止を「過疎」だけで判断できない理由
地方路線が廃止されると、「過疎だったから仕方がない」と説明されることがあります。しかし鉄道経営では、沿線人口だけでなく、通勤・通学需要、自動車保有率、道路事情、観光需要、列車本数、運賃、維持費など複数の条件が関係します。
例えば人口が比較的少ない地域でも、通学需要や観光需要が安定していれば鉄道が維持される場合があります。反対に一定の人口が存在していても、大部分の住民が自動車を利用していれば鉄道利用者は少なくなります。
そのため、輪島~穴水間についても「過疎だったか」という人口面だけを見るより、人口減少と自動車社会への移行によって鉄道を日常的に利用する人が減少したという視点から見ると、廃止に至った背景を理解しやすくなります。
まとめ:輪島~穴水間は人口減少と利用者減少の影響を受けた路線
のと鉄道の穴水~輪島間は、人口密度の高い都市部を走る路線ではなく、人口減少の影響を受けた地方鉄道でした。ただし、終点の輪島には市街地や観光需要もあり、「沿線が完全に過疎だったから廃止された」と単純に説明することはできません。
背景には、自家用車の普及、道路整備、沿線人口の減少、それに伴う鉄道利用者の減少などがあります。第三セクター化後も利用状況が厳しく、最終的に穴水~輪島間は2001年に廃止されました。
また、2005年に廃止された穴水~蛸島間の旧能登線とは別の路線です。のと鉄道の歴史を調べる際には、「輪島方面は2001年、珠洲・蛸島方面は2005年」と整理しておくと理解しやすいでしょう。


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