現在の鹿児島中央駅は、2004年3月13日の九州新幹線・新八代~鹿児島中央間の開業に合わせ、それまでの「西鹿児島駅」から改称された駅です。「西鹿児島」の方が位置をイメージしやすいのに、なぜ費用をかけてまで「鹿児島中央」に変えたのか疑問に感じる人もいるでしょう。しかし改称の背景を調べると、単なるイメージアップではなく、すでに実質的な鹿児島の中心駅になっていた西鹿児島駅を、九州新幹線開業という大きな節目に合わせて「鹿児島の玄関口」であることが分かる名称へ変更するという意図があったことが分かります。鹿児島市史によれば、公募でも「鹿児島中央駅」が最多の735通を集めました。一方、歴史的には「鹿児島駅」の方が先に鹿児島の玄関口だったため、現在も「鹿児島駅」と「鹿児島中央駅」が併存しています。この記事では、西鹿児島駅が鹿児島中央駅へ改称された経緯、費用、駅名公募の結果、そして鹿児島駅との関係を歴史から整理します。
- 西鹿児島駅が鹿児島中央駅になったのは2004年3月13日
- 最大の理由は「西鹿児島駅」がすでに鹿児島の中心駅だったから
- 「中央駅なのに市の中央ではない」は別に矛盾ではない
- 実は駅名は公募で決められている
- 選定委員の提案でも「鹿児島中央駅」が1位だった
- なぜ新幹線開業のタイミングで変える必要があったのか
- 駅名変更には実際いくらかかった?
- 集まった募金は改称以外の事業にも使われた
- そもそも西鹿児島駅は最初から「西鹿児島」ではなかった
- 昔は本当に「鹿児島駅」が鹿児島の代表駅だった
- 戦後に鹿児島駅と西鹿児島駅の立場が逆転していった
- 鹿児島駅の存在感が薄くなったのは2004年の改称だけが原因ではない
- では鹿児島駅を「東鹿児島駅」にすればよかった?
- 鹿児島駅にも現在の役割がある
- 九州新幹線開業後は「鹿児島中央」の意味がさらに大きくなった
- 「西鹿児島」の方が地理的には分かりやすかった?
- 地元では「西駅」という呼び方も長く親しまれていた
- 鹿児島中央駅周辺そのものも大きく変わった
- 西鹿児島駅から鹿児島中央駅への流れを時系列で整理
- まとめ:鹿児島中央駅への改称は「新幹線時代の鹿児島の玄関口」を示すためだった
西鹿児島駅が鹿児島中央駅になったのは2004年3月13日
西鹿児島駅が「鹿児島中央駅」へ改称されたのは2004年3月13日です。この日は九州新幹線の新八代~鹿児島中央間が開業した日でもあります。JR九州の公式年譜にも、同日のダイヤ改正で「九州新幹線 新八代~鹿児島中央 開業」と「駅名改称(西鹿児島駅→鹿児島中央駅)」が行われたことが記録されています。[参照:JR九州・JR九州年譜]
つまり、ある日突然「西という文字が気に入らないから中央にしよう」と変更されたわけではありません。鹿児島の鉄道史を大きく変える九州新幹線の開業とセットになった改称でした。
JR九州の現在の資料でも、1927年に西鹿児島駅が誕生し、2004年3月の九州新幹線部分開業と同時に鹿児島中央駅へ名称変更したという流れが紹介されています。[参照:JR九州・鹿児島中央駅周辺の歴史]
最大の理由は「西鹿児島駅」がすでに鹿児島の中心駅だったから
駅名変更の理由を理解するうえで重要なのが、「西鹿児島」という名称と実際の駅の役割が合わなくなっていたことです。
鹿児島市史によると、駅名変更をめぐっては以前から「市の中心駅が西駅では違和感がある」という意見と、「西駅という名前が定着している」という意見の双方がありました。そして九州新幹線開業を前に検討委員会・選定委員会で改めて議論し、「新幹線開業に合わせて改称すべき」と意見集約されています。[参照:鹿児島市史・第五章 交通]
したがって「中央」は鹿児島市の地理的な中心点を意味するというより、鹿児島を代表する中心的な鉄道ターミナルという意味で理解すると分かりやすくなります。
「中央駅なのに市の中央ではない」は別に矛盾ではない
「鹿児島中央駅」という名称を見ると、鹿児島市の地図上の中心地点に駅があるように感じるかもしれません。しかし鉄道駅の「中央」は必ずしも厳密な地理的中心を意味するものではありません。
鹿児島中央駅の場合には、九州新幹線、鹿児島本線、指宿枕崎線などが集まり、市電や路線バスなどへ乗り換えられる鹿児島の主要交通拠点としての「中央」という性格が強いと考えた方が実態に合っています。
鹿児島市の都市計画資料でも、九州新幹線開通後の鹿児島中央駅周辺を「鹿児島の陸の玄関」と位置付け、交通結節機能の向上を進めています。[参照:鹿児島市・鹿児島都市計画資料]
実は駅名は公募で決められている
「鹿児島中央駅」という名称は行政だけで一方的に決めたものではありません。鹿児島市史には駅名公募の詳しい結果が残されています。
県内外から郵送、ファクス、電子メールによって合計2,976通の応募があり、最多だったのが「鹿児島中央駅」の735通でした。2位は「新鹿児島駅」の535通、3位は「鹿児島駅」の338通、4位は従来の「西鹿児島駅」の335通でした。[参照:鹿児島市史・駅名公募結果]
つまり従来の「西鹿児島駅」を残してほしいという意見も相当数あったものの、公募では「鹿児島中央駅」が2位以下を大きく上回っていました。
選定委員の提案でも「鹿児島中央駅」が1位だった
一般公募だけではありません。鹿児島市史によれば、106人の選定委員による提案でも「鹿児島中央駅」が37人で最多でした。
そして2002年9月2日、市の西鹿児島駅名選定委員会が、新しい駅名を「鹿児島中央駅」に決定しました。
その後、2004年3月13日の九州新幹線部分開業に合わせて正式に改称され、1927年以来70年以上使用されていた「西鹿児島駅」という名称が消えることになりました。
なぜ新幹線開業のタイミングで変える必要があったのか
駅名変更には看板や案内表示だけでなく、時刻表、発券システム、列車の表示、各駅の案内、印刷物など多数の変更が発生します。そのため簡単に何度も変更できるものではありません。
一方、新幹線が開業すれば、そもそも駅設備や案内、時刻表など大規模な変更が必要になります。さらに全国から初めて鹿児島を訪れる利用者が増える大きな節目でもあります。
そのため、長年議論されていた駅名問題を九州新幹線開業と同時に解決することには合理性がありました。「西鹿児島」のまま新幹線を開業し、数年後に改めて駅名を変更するより、開業時に新しい玄関口として名称を統一する方が分かりやすいという考え方です。
駅名変更には実際いくらかかった?
西鹿児島駅から鹿児島中央駅への改称には、決して小さくない費用が発生しました。鹿児島市史では、改称費用を捻出するため、県内経済界や各種団体による「駅名改称推進協議会」が2002年11月に設立され、同年12月から募金活動が始まったことが記録されています。[参照:鹿児島市史]
当初は7,000万円を目標として募金が行われ、最終的には市民や団体などへ広がり、目標を大きく上回る約1億1,300万円が集まりました。
駅名改称そのものの費用については、当時の資料をもとに約6,600万円と紹介されることが多くあります。なお鹿児島市史には募金と関連事業を含む記述もあるため、「1億1,300万円すべてが駅名変更だけに消えた」という意味ではありません。
集まった募金は改称以外の事業にも使われた
鹿児島市史によると、募金は目標を大幅に上回る約1億1,300万円に達し、駅名改称に関連する費用だけでなく、肥薩おれんじ鉄道支援を含む複数の募金活用事業にも利用されました。
したがって、「駅名の文字を西鹿児島から鹿児島中央へ変えるだけに1億円以上を使った」と理解すると正確ではありません。
もちろん約6,600万円規模とされる改称費用自体も安くはありません。しかし新幹線が発着する大規模ターミナルでは、駅そのものだけでなく広範囲の案内・システムに駅名が登録されているため、小さな駅の看板を一枚交換するような話ではありません。
そもそも西鹿児島駅は最初から「西鹿児島」ではなかった
興味深いのは、鹿児島中央駅がこれまでに何度も役割を変えていることです。現在の鹿児島中央駅は、もともと「武駅」という駅でした。
鹿児島市の歴史資料によると、1913年に鹿児島駅から東市来駅まで鉄道が延伸された際に武駅が誕生しました。その後、路線が熊本県水俣方面へつながって新しい鹿児島本線となり、1927年に「西鹿児島駅」へ改称されました。[参照:鹿児島市・中央地区の歴史]
つまり「武駅→西鹿児島駅→鹿児島中央駅」という変遷をたどっています。駅の役割が大きくなるたびに名称も変化してきたと見ることができます。
昔は本当に「鹿児島駅」が鹿児島の代表駅だった
現在は鹿児島中央駅の方が大きなターミナルという印象がありますが、歴史をさかのぼると状況は逆でした。
鹿児島市の資料によると、1901年に鹿児島県で初めての鉄道が鹿児島駅を起点として開通し、鹿児島駅は鹿児島の玄関口になりました。当時は交通の要所として上町地区が重要な役割を担っていました。[参照:鹿児島市・鹿児島駅の歴史]
一方、現在の鹿児島中央駅にあたる武駅は、当初は地域の駅という位置付けでした。つまり「鹿児島駅」という名前が先に存在していたからこそ、後から成長した駅には「西鹿児島」という名前が付いたわけです。
戦後に鹿児島駅と西鹿児島駅の立場が逆転していった
鹿児島市の資料では、1945年以降、交通の玄関口としての役割が鹿児島駅から西鹿児島駅へ移っていったと説明されています。[参照:鹿児島市・鹿児島駅の登場から現在へ]
また中央地区の歴史資料でも、戦後に旅客駅として乗降客数を伸ばした西鹿児島駅の役割が大きくなり、2004年の九州新幹線部分開業時に鹿児島中央駅へ改称し、県内でも最大級の駅へ発展した流れが説明されています。
つまり鹿児島駅が後から衰退して中央駅に主役を奪われたというより、都市の発展方向、鉄道路線、長距離列車の運行などによって、数十年かけて交通の中心が西鹿児島駅側へ移動したというのが実態に近いでしょう。
鹿児島駅の存在感が薄くなったのは2004年の改称だけが原因ではない
「西鹿児島駅が鹿児島中央駅を名乗ったことで、鹿児島駅の存在感が薄くなった」と感じることはできます。しかし歴史的には、両駅の役割の逆転は改称よりはるか前から進んでいました。
鹿児島市は鹿児島駅周辺について、かつては交通の要衝として官公庁などの都市機能が集まり活気のある地域だったものの、西鹿児島駅の中央駅化、官公庁の移転、市街化の南進などによって周辺環境が変化したと説明しています。[参照:鹿児島市・鹿児島駅周辺都市拠点総合整備事業]
つまり2004年の「鹿児島中央」という駅名は、すでに起きていた都市構造・交通構造の変化を名称にも反映させたものと考える方が自然です。
では鹿児島駅を「東鹿児島駅」にすればよかった?
初めて鹿児島を訪れる人からすると、「中心駅を鹿児島駅にして、従来の鹿児島駅を東鹿児島駅などに変えれば分かりやすかったのでは」と考えるかもしれません。
しかし鹿児島駅は1901年から続く歴史ある駅名です。鹿児島の鉄道発祥と深く結びついており、単に現在の利用者数だけで名称を変更できる存在ではありません。
さらに二つの駅を同時に改称すれば、当然ながら変更箇所や利用者への周知も増えます。結果として「鹿児島」という歴史ある駅名を残しながら、新しい中心ターミナルを「鹿児島中央」とする現在の形になりました。
鹿児島駅にも現在の役割がある
鹿児島中央駅が「陸の玄関口」として大きく発展したからといって、鹿児島駅に役割がなくなったわけではありません。
鹿児島市は鹿児島駅周辺を現在も「本市の北の玄関口」と位置付けています。またJR、市電、バス、フェリーなどの公共交通が近接し、桜島や錦江湾への眺望、鹿児島発祥の地としての歴史・文化など独自の地域資源を持つ地区と評価しています。[参照:鹿児島市・鹿児島駅周辺整備]
「鹿児島中央駅が主役だから鹿児島駅は不要」という関係ではなく、それぞれ成立した時代と現在担っている役割が異なる二つの駅と考えると分かりやすくなります。
九州新幹線開業後は「鹿児島中央」の意味がさらに大きくなった
2004年時点の九州新幹線は新八代~鹿児島中央間だけの部分開業でした。しかし2011年3月12日に博多~新八代間が開通し、九州新幹線は全線開業しました。
さらに山陽新幹線との相互直通運転が始まり、鹿児島中央駅から新大阪方面まで新幹線で直接つながるようになりました。JR九州も、九州新幹線が九州内の移動だけでなく、京阪神・山陽地区と九州を結ぶビジネス・観光の重要な交通手段になっていると説明しています。[参照:JR九州・九州新幹線]
結果として「鹿児島中央」という名称は、県外から鹿児島へ入る主要鉄道ターミナルの名称として定着していきました。
「西鹿児島」の方が地理的には分かりやすかった?
これは何を基準にするかによります。「鹿児島市内のどちら側にある駅なのか」を示す名称として考えれば、「西鹿児島」の方が方向をイメージしやすいという意見には合理性があります。
一方、旅行者が新幹線で鹿児島へ行く場合、「西鹿児島」と表示されていると「ここが鹿児島の中心駅なのか、それとも鹿児島駅へさらに乗り換える必要があるのか」と迷う可能性があります。
「鹿児島中央」であれば、少なくとも「鹿児島の主要ターミナルである」という役割は駅名から理解しやすくなります。方向を伝える分かりやすさを取るか、駅の役割を伝える分かりやすさを取るかという違いともいえます。
地元では「西駅」という呼び方も長く親しまれていた
西鹿児島駅は1927年から2004年まで70年以上使用された名称なので、当然ながら地元では強く定着していました。
鹿児島市の資料でも、駅前には戦後「西駅朝市」が形成されるなど、「西駅」という名称が地域文化の一部になっていたことが分かります。[参照:鹿児島市・中央地区の歴史]
そのため改称当時に「西鹿児島のままでいい」という意見が存在したことも自然です。実際、公募でも「西鹿児島駅」は335通ありました。駅名変更には新しい利用者への分かりやすさだけでなく、長年使ってきた住民の愛着という問題もあります。
鹿児島中央駅周辺そのものも大きく変わった
駅名だけが「中央」になったわけではありません。2004年9月にはアミュプラザ鹿児島が開業し、その後も駅周辺の再開発が続きました。
JR九州の資料では、2011年の九州新幹線全線開業、2014年のアミュプラザ鹿児島プレミアム館開業、2021年のLi-Ka1920、2023年のJR鹿児島中央ビル・AMU WE開業など、駅周辺が継続して発展してきた経緯が紹介されています。[参照:JR九州・鹿児島中央駅周辺の発展]
改称から20年以上経過した現在では、交通だけでなく商業・宿泊などを含む鹿児島市の主要拠点の一つとして「中央駅」という名称が定着しています。
西鹿児島駅から鹿児島中央駅への流れを時系列で整理
駅の歴史を時系列で見ると、なぜ「中央」になったのかが分かりやすくなります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1901年 | 鹿児島駅を起点に鹿児島県初の鉄道が開通 |
| 1913年 | 現在の鹿児島中央駅にあたる「武駅」が誕生 |
| 1927年 | 武駅を「西鹿児島駅」へ改称 |
| 戦後 | 旅客ターミナルとして西鹿児島駅の重要性が高まる |
| 2002年 | 駅名選定委員会が「鹿児島中央駅」を選定 |
| 2004年3月13日 | 九州新幹線部分開業、西鹿児島駅を鹿児島中央駅へ改称 |
| 2004年9月 | アミュプラザ鹿児島開業 |
| 2011年3月 | 九州新幹線全線開業、山陽新幹線との相互直通開始 |
この流れを見ると、鹿児島中央駅は突然鹿児島駅の立場を奪った駅ではありません。小さな「武駅」から始まり、約90年かけて鹿児島の中心ターミナルへ成長した駅なのです。
まとめ:鹿児島中央駅への改称は「新幹線時代の鹿児島の玄関口」を示すためだった
西鹿児島駅が鹿児島中央駅へ改称された最大の背景には、西鹿児島駅がすでに実質的な鹿児島の中心ターミナルとなっており、2004年の九州新幹線開業を機に、その役割に合った駅名へ変更しようという考えがありました。鹿児島市史でも「市の中心駅が西駅では違和感がある」という長年の改称論議があったことが記録されています。[参照:鹿児島市史]
新駅名は公募され、2,976通のうち「鹿児島中央駅」が735通で最多。「新鹿児島駅」535通、「鹿児島駅」338通、「西鹿児島駅」335通を上回りました。選定委員の提案でも鹿児島中央駅が最多となり、2002年に新駅名として決定されました。
改称には約6,600万円とされる費用が必要になり、経済界や各種団体などによる募金活動が行われました。募金は当初目標の7,000万円を超える約1億1,300万円が集まり、余剰分を含めた資金は肥薩おれんじ鉄道支援など複数の関連事業にも活用されています。
一方の鹿児島駅は、1901年に鹿児島県初の鉄道が開通した際の玄関口という非常に長い歴史を持っています。現在の鹿児島中央駅は1913年に「武駅」として誕生した後、1927年に西鹿児島駅となり、戦後になって旅客ターミナルとして鹿児島駅を上回る存在へ成長しました。
そのため現在の「鹿児島駅」と「鹿児島中央駅」という少し紛らわしい二駅の存在は、駅名の付け方に失敗した結果というより、100年以上にわたって鹿児島市の中心や鉄道交通の流れが変化した歴史そのものともいえます。「西鹿児島」の方が方角として分かりやすかったという見方も十分成り立ちますが、新幹線で全国から利用者を迎える主要ターミナルであることを表現するという意味では、「鹿児島中央」という名称にも明確な理由があったのです。


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