雫石衝突事故から日航ジャンボ機墜落事故まで日本の航空事故はなかったのか?航空事故調査委員会の歩みを解説

飛行機、空港

昭和46年の全日空機雫石衝突事故から昭和60年の日本航空123便墜落事故までの期間について、「日本では重大な航空事故が起きていなかったのか」「航空事故調査委員会には経験が蓄積されていなかったのか」と疑問に感じる人もいます。この記事では、この期間に発生した日本の航空事故や重大事例、そして航空事故調査体制がどのように発展していったのかを詳しく解説します。

雫石衝突事故から日航ジャンボ機事故までの間にも航空事故は発生していた

昭和46年(1971年)の全日空機雫石衝突事故は、日本の航空史上でも非常に重大な事故でした。162人が死亡したこの事故を契機として、航空事故調査体制の強化が進められ、昭和49年には航空事故調査委員会が常設機関として発足しました。

しかし、航空事故調査委員会が設置された後、日本国内で航空事故が完全になくなったわけではありません。死亡者を伴う大規模事故は少なかったものの、航空事故や重大インシデントに該当する事例は発生していました。

航空事故の発生頻度は低いため、15年近くの期間に大型旅客機による大惨事がなかったことは珍しいことではありません。しかし、その間にも事故調査機関はさまざまな事例を調査し、経験を積み重ねていました。

航空事故調査委員会が調査した主な事故や事例

航空事故調査委員会が発足した後には、旅客機だけではなく、小型機、ヘリコプター、航空自衛隊機などを含めた多くの航空事故が調査対象となりました。

例えば、昭和50年代には小型航空機事故や航空機の墜落事故、滑走路逸脱などの事例が発生しています。これらは多数の死者を出す大規模事故ではありませんでしたが、事故原因の究明や安全対策の改善につながる重要な調査となりました。

また、航空事故調査では事故機の残骸分析、整備記録の確認、操縦士や管制官への聞き取りなど、多くの専門的な手法が必要です。大事故だけではなく、個々の事故調査を通じて技術や手順が蓄積されていきました。

日航123便墜落事故で初めて調査したわけではない

「航空事故調査委員会が初めて本格的に調査した事故が日本航空123便墜落事故だった」という認識は誤りです。

昭和60年(1985年)8月12日に発生した日本航空123便墜落事故は、航空事故調査委員会にとって最大規模の調査案件となりました。単独機事故として世界でも最大級の犠牲者を出したため、膨大な量の残骸調査や技術解析が必要となりました。

しかし、それ以前にも航空事故調査委員会は多数の事故を扱っており、調査経験や専門知識を蓄積していました。123便事故は突然現れた最初の調査ではなく、それまでの経験を集大成するような大規模調査だったと言えます。

NTSBの協力と日本の事故調査能力について

日本航空123便墜落事故では、アメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)も調査に参加しました。これは事故機がアメリカ製のボーイング747型機であり、製造国として技術的な協力を行う必要があったためです。

NTSBは航空事故調査において長い歴史と豊富な経験を持つ機関であり、世界的にも高い評価を受けています。そのため、アメリカ側の技術資料や分析能力が調査に役立ったことは事実です。

一方で、日本の航空事故調査委員会が十分な能力を持っていなかったということではありません。日本側も事故機の回収、現場調査、証拠分析、関係者への聞き取りなどを主体的に進めており、独自の調査能力を持っていました。

日本の航空事故調査体制はどのように発展したのか

航空事故調査委員会は、その後も制度改正を重ねました。鉄道事故などへの対応範囲を広げるため、航空・鉄道事故調査委員会へ発展し、さらに平成20年には運輸安全委員会(JTSB)へ移行しました。

現在の運輸安全委員会では、航空事故だけでなく、鉄道事故や船舶事故などについても専門的な調査を行っています。

過去の事故調査で得られた知見は、安全基準の改善、航空会社の運航手順の見直し、航空機設計の改良などに活用されています。大きな事故が少ないこと自体が、こうした継続的な安全対策の成果でもあります。

まとめ|雫石事故から日航123便事故までにも調査経験は蓄積されていた

全日空機雫石衝突事故から日本航空123便墜落事故までの約15年間、日本で重大な旅客機事故が少なかったことは事実ですが、航空事故そのものが存在しなかったわけではありません。

航空事故調査委員会は、この期間にも多数の事故やインシデントを調査し、専門知識や調査手法を蓄積していました。

日航123便事故ではNTSBの協力もありましたが、日本の事故調査機関が経験不足だったために調査できなかったというわけではありません。それまで積み重ねてきた調査経験があったからこそ、世界最大級の航空事故にも対応できたと言えます。

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