北九州市は1963年、門司市・小倉市・若松市・八幡市・戸畑市という5つの市が「対等合併」して誕生しました。ところが現在の市街地を見ると、新幹線が停車する小倉駅、市役所、商業施設、オフィス街、北九州モノレールなど主要な都市機能が小倉北区に集中しており、「対等合併なのに小倉だけが中心なのはなぜ?」という疑問が生まれます。
この違いを理解するポイントは、「対等合併」と「合併後も各地域を同じ規模で発展させること」は別の概念だという点です。さらに小倉が北九州市の中心になった理由をたどると、1963年の合併後に突然小倉だけが優遇されたというより、城下町・交通の要衝として形成されていた合併前からの都市構造、新幹線開業、商業・業務機能の集積などが重なっていることが分かります。
北九州市の「5市対等合併」とは何だったのか
北九州市は1963年2月10日、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が合併して発足し、同年4月1日に政令指定都市となりました。北九州市自身も、この成立を「五つの街が対等合併」と説明しています。[参照] 北九州市「市制60周年 北九州市」
ここでいう「対等合併」は、一般に一つの既存市が周囲の市を編入する「編入合併」と対比して理解すると分かりやすくなります。旧小倉市が門司・若松・八幡・戸畑を吸収して「小倉市」を拡大したわけではなく、5市が一つになって新たに北九州市をつくったという成り立ちです。
実際、合併後には旧5市の名前を引き継ぐ門司区・小倉区・若松区・八幡区・戸畑区が置かれました。その後1974年に小倉区が小倉北区・小倉南区、八幡区が八幡東区・八幡西区へ分かれ、現在の7区になっています。[参照] 北九州市「7区の紹介」
「対等合併」は5地域を同じ規模にするという意味ではない
重要なのは、対等合併だったからといって、合併後の旧5市に新幹線駅・市役所・百貨店・オフィス・鉄道などを同じ数だけ配置するという意味ではないことです。都市機能は交通条件、人口、既存市街地、企業立地、商圏などによって次第に集積します。
例えば新幹線駅を旧5市それぞれに一つずつ設けなければ「対等ではない」というものではありません。市全体の広域交通拠点として適した場所に駅が置かれ、その周辺にホテル、オフィス、商業施設などが集まれば、その地域の中心性はさらに強くなります。
つまり北九州市の「対等」は5市が合併するときの関係を表す言葉であって、合併後の各地区の都市機能や経済規模が永久に均等になることを意味しているわけではありません。
小倉は合併以前から「陸上交通の中心」だった
現在の小倉への集中を考えるうえで見逃せないのが、1963年よりはるか以前から存在する地域ごとの役割の違いです。北九州市の公式説明によれば、小倉は中津街道や長崎街道など九州五街道の起点となり、「九州の道は小倉に通じる」といわれたほど古くから陸上交通の要衝でした。また、江戸時代には城下町として発展しています。[参照] 北九州市「小倉北区の紹介」
つまり、小倉にはもともと行政・商業・交通の中心になりやすい都市基盤がありました。北九州市になったことでゼロから小倉中心の街を造ったわけではありません。
現在の小倉北区についても北九州市は明確に「北九州市の都心」と位置付けています。小倉駅周辺には商業施設、商店街、繁華街、オフィス街、ホテル、展示場、国際会議場などが集積しており、交通拠点と商業・業務拠点が一体化しています。
小倉駅が新幹線駅になったのは「合併後の優遇」だけでは説明できない
小倉駅が現在地へ移転したのは1958年です。北九州市が誕生した1963年より前のことであり、すでに国鉄の主要駅としての基盤が形成されていました。その後、1975年の山陽新幹線博多開業時に小倉駅が新幹線停車駅となりました。[参照] 北九州市「小倉の沿革」
小倉駅は現在も山陽新幹線に加え、JR鹿児島本線・日豊本線などが接続する北九州の主要ターミナルです。本州方面から九州各地へ向かう鉄道交通を考えても、結節点として非常に強い位置にあります。
そして大きな交通拠点には人が集まり、人が集まる場所には商業・ホテル・オフィスが集まり、それによってさらに交通需要が増えるという循環が生まれます。これが小倉の中心性を強めた大きな要因です。
モノレールが小倉にあるのも小倉南部との交通軸だから
北九州モノレール小倉線は1985年に開業しました。小倉駅周辺から小倉南区方面へ伸びる都市交通であり、小倉の中心市街地と住宅地などを結ぶ役割を持っています。
これも「旧小倉市だけに特別な乗り物を与えた」と単純化するより、その路線で見込まれる輸送需要や既存交通網、都市構造から考える必要があります。大量輸送機関は、各区への公平性だけで路線を決められるものではないからです。
また北九州市の鉄道交通はモノレールだけではありません。門司・戸畑・八幡方面はJR鹿児島本線という重要な東西軸で結ばれています。そのため「モノレールがない=公共交通が整備されていない」ともいえません。
実は合併当時の八幡は小倉以上に巨大だった
現在の印象だけを見ると「最初から小倉一強だった」と考えがちですが、歴史を見ると事情はもっと複雑です。旧八幡市は官営八幡製鐵所を中心として日本の近代工業を代表する都市へ成長しました。
1963年の合併後に成立した八幡区の人口は345,814人だったことが北九州市の資料に残っています。八幡は決して小倉に付随する小さな地域ではなく、北九州工業地帯の中核を担う巨大な都市でした。[参照] 北九州市「北九州市八幡東区へ」
その後1974年には八幡区が八幡東区と八幡西区に分割されました。現在「八幡区」という一つの区が存在しないため、現代の区単位だけで比較すると、旧八幡市の規模が見えにくくなる点にも注意が必要です。
5市にはそもそも異なる「得意分野」があった
北九州の特徴は、似たような5都市が横並びになっていたのではなく、性格の異なる都市が近接して発展していたことです。北九州市の基本構想でも、合併前の地域について、城下町の小倉をはじめ各地が発展し、特に官営八幡製鐵所の操業が地域の大きな転換点になったと説明されています。[参照] 北九州市「基本構想・基本計画」
| 旧市 | 歴史的に目立つ性格 | 現在につながる代表的要素 |
|---|---|---|
| 小倉 | 城下町・商業・行政・陸上交通 | 小倉駅、都心、商業・業務機能 |
| 門司 | 鉄道・港湾・関門交通 | 門司港、関門海峡、門司港レトロ |
| 八幡 | 鉄鋼・製造業 | 製鉄関連産業、黒崎などの市街地 |
| 若松 | 港湾・石炭積出港 | 若松港、響灘地区、産業・物流機能 |
| 戸畑 | 工業・港湾 | 製造業、洞海湾、若戸大橋周辺 |
したがって、小倉に百貨店やオフィスが多く、八幡・戸畑・若松に工業施設が多いこと自体は、合併後の政策だけで作られた差ではありません。合併以前から形成されてきた各都市の産業構造が現在の土地利用にも影響しています。
「他の4地域は工場と港湾しかない」は正確ではない
一方、小倉以外を「工場と港しかない」と表現するのも実態とは異なります。例えば門司区には門司港レトロをはじめとする観光資源があり、北九州市も「海峡と歴史」を特徴とする地域として紹介しています。[参照] 北九州市「7区の紹介」
八幡西区には黒崎を中心とする市街地があります。八幡東区には世界文化遺産の構成資産を含む製鉄の歴史だけでなく、商業・文化・観光施設もあります。戸畑には住宅地や教育・文化施設があり、若松にも住宅地、大学、観光地、響灘地区の新しい産業拠点があります。
むしろ北九州市は、一つの巨大な中心街から同心円状に広がった都市というより、複数の独立した都市が合併した「多核型」の都市として見ると理解しやすくなります。その中で広域的な都心機能が小倉に集中するようになったという構造です。
なぜ合併後に小倉への一極集中が目立つようになったのか
合併前は5市それぞれに市役所があり、それぞれが独立した都市として行政・商業機能を持っていました。しかし一つの北九州市になると、市役所など全市的な機能はどこか一か所を中心に置く必要があります。
そこへ1975年の新幹線開業、1985年のモノレール開業、小倉駅周辺の商業・業務施設整備などが重なりました。交通利便性が高まれば企業や店舗が立地しやすくなり、さらに利用者が集まります。
反対に、鉄鋼業を中心に発展した地域では、日本の産業構造の変化による影響を強く受けました。北九州市自身も、市制施行後の歴史について「産業構造の変化」という試練があったと説明しています。[参照] 北九州市「市制55周年」
小倉だけが北九州の中心というより「小倉都心+各地域拠点」と考える
現在の北九州市を理解するには、「7区をすべて同じ規模の中心街にする都市」ではなく、小倉という全市的な都心と、それぞれ異なる役割を持つ地域拠点から成る都市として見るほうが現実に近いでしょう。
例えば広域交通・商業・行政では小倉の存在感が圧倒的ですが、観光なら門司港、製造業の歴史なら八幡、港湾・物流・エネルギー関連なら若松・響灘など、都市機能によって重要になる地域は変わります。
工場や港湾についても「発展していない土地に残ったもの」と見る必要はありません。北九州市は日本を代表する工業都市として形成された都市であり、港湾・物流・製造業そのものが市の経済基盤の重要な部分です。商業ビルの数だけで各区の価値や経済的重要性を比較すると、北九州という都市の特徴を見誤りやすくなります。
まとめ|対等合併と「都市機能の均等配置」は別の話
北九州市は1963年に門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が対等合併して誕生した都市です。この「対等」は歴史的な合併方式を示すものであり、5地域に同じ人口、同じ商業規模、同じ鉄道設備を保証するという意味ではありません。
小倉が現在の都心になった背景には、城下町としての歴史、九州の道路交通の要衝だったこと、1958年に現在地へ移った小倉駅、1975年の山陽新幹線開業、1985年のモノレール開業、そして商業・行政・業務機能の集積があります。つまり「対等合併だったのに後から小倉だけを中心にした」という一つの理由だけでは説明できません。
また、合併時には八幡も非常に大きな工業都市であり、門司は港湾・鉄道、若松は石炭積出港、戸畑は工業、小倉は商業・行政・陸上交通というように、もともと5市には異なる都市機能がありました。
北九州市の特徴は「小倉と4つの付属地域」ではなく、別々に発展した5都市が一つになり、その後、広域的な都心機能が小倉へ強く集積した都市だと捉えると分かりやすくなります。
新幹線やモノレール、百貨店など目立つ都市機能では小倉の存在感が大きい一方、門司・八幡・若松・戸畑にも港湾、産業、住宅、観光、文化など異なる役割があります。「対等合併」という成立の歴史と、60年以上を経て形成された現在の都市構造は、分けて考えることが重要です。


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