1982年ごろ小学生が一人で飛行機に乗ることはあった?昭和の子どもの一人旅と航空会社のサポートを解説

飛行機、空港

昭和50年代から60年代の思い出として、「夏休みに小学生だけで飛行機に乗って祖父母や親戚の家へ行った」という話を聞くことがあります。現在なら少し驚く話に感じますが、1982年(昭和57年)ごろにも、子どもだけで国内線を利用すること自体は特別にあり得ないことではありませんでした。

特に小学3年生なら8~9歳前後です。出発空港までは親が送り、到着空港では祖父母や親戚が迎えるという形で、子どもが一人で飛行機に乗る利用方法は存在していました。

ただし、「当時の小学3年生なら誰でも普通に一人で飛行機に乗っていた」というほど一般的だった、とまでは言えません。航空会社が子どもの一人旅を支援する仕組みを用意しており、それを利用して帰省などをする家庭があった、と理解するのが適切です。

1982年にも小学生だけで飛行機に乗ることはあった

現在の航空会社には、保護者が同行しない子どもの搭乗を支援するサービスがあります。実は、このような仕組みは最近始まったものではなく、昭和の時代から存在していました。

子どもの一人旅を支援する航空サービスについて、JALへの取材を基にした過去の記事では、その仕組みが約50年前から存在していたことが紹介されています。[子どもの一人旅サポートの歴史参照]

したがって1982年に小学3年生が親に伊丹空港まで送ってもらい、一人で国内線へ乗って地方の親戚宅へ向かったという話は、当時として十分考えられる旅行スタイルです。

「一人旅」といっても完全に子ども任せではない

ここで重要なのは、小学生の飛行機一人旅における「一人」の意味です。自宅を出てから目的地まで、すべてを子ども自身が判断して移動する旅行とは少し違います。

典型的なのは、出発空港までは親が連れて行き、搭乗手続きを済ませ、飛行中は客室乗務員などが見守り、到着空港ではあらかじめ決められた祖父母や親戚が迎えるという形です。

現在のANAでも、子どもの一人旅を対象とした「ANAジュニアパイロット」があり、出発空港から到着空港までサポートしています。さらに出発空港と到着空港の双方に見送り・出迎えの人を手配する仕組みになっています。[ANA公式・子どもの一人旅参照]

小学3年生は一人で搭乗しやすい年齢に当たる

小学3年生は通常8~9歳です。現在の国内線ルールを見ても、この年齢は保護者なしで搭乗できる航空会社があります。

例えば現在のANAでは5~11歳を「ANAジュニアパイロット」の対象とし、5~7歳は子どもだけで搭乗する場合にサービス利用が必要、8~11歳は子どもだけで搭乗でき、サポートが不要ならその旨を選択できる仕組みです。

JALも現在、6~7歳の子どもだけで搭乗する場合はサポートが必須で、8~11歳では希望によりサポートを利用できます。[JAL公式・お子さまだけでの旅行参照]

もちろん現在の制度をそのまま1982年の規則として当てはめることはできません。しかし、8~9歳程度の子どもが航空会社の管理・支援を受けながら単独搭乗するという旅行形態そのものには長い歴史があります。

昭和の夏休みには「子どもだけで親戚宅へ」という需要があった

子どもの飛行機一人旅が利用される代表的な場面は、夏休みや冬休みの帰省です。両親が仕事などで一緒に移動できなくても、子どもだけ先に祖父母や親戚のところへ行かせることができます。

例えば大阪に住む家庭なら、親が伊丹空港まで子どもを送り、地方空港では祖父母が迎えるという方法が考えられます。子どもが単独で行動するのは主に航空機で移動する部分であり、前後では大人が引き継ぎます。

鉄道で何時間も乗り換えながら移動するより、空港から空港まで航空会社のスタッフに見守ってもらえる直行便のほうが、家庭によっては安心できる選択肢だったとも考えられます。

当時は伊丹空港が大阪の主要な国内線空港だった

1982年という年代を考えるうえでは伊丹空港の存在も重要です。現在の大阪には関西国際空港がありますが、関西国際空港が開港したのは1994年です。

したがって1982年当時、大阪から国内各地へ飛行機で向かう際には大阪国際空港、いわゆる伊丹空港が重要な拠点でした。現在以上に「大阪から地方へ飛行機で帰省する=伊丹を利用する」という状況だったわけです。

親が伊丹空港まで送り、地方空港で親戚が迎えるという話は、当時の国内航空ネットワークを考えても不自然ではありません。

では「普通だった」と言い切れるのか

ここは慎重に区別する必要があります。「制度として可能だった」「実際に利用する子どもがいた」ことと、「小学3年生なら大半が経験していた」という意味での普通は別です。

航空運賃の負担、親戚が住んでいる地域、家庭の考え方、子どもの性格などによって、一人で飛行機に乗せるかどうかは大きく違います。飛行機そのものをほとんど利用しない家庭も当然ありました。

そのため、1982年当時として珍奇な話ではないものの、全国の小学3年生にとって日常的だったとまでは評価しないのが妥当です。「夏休みに一人で祖父母宅へ行く子の中には、飛行機を利用するケースもあった」という程度に考えると実態に近いでしょう。

現在も子どもの飛行機一人旅は続いている

興味深いのは、この旅行スタイルが昭和だけのものではないことです。現在もJALやANAは子どもの一人旅を正式に受け入れています。

JALでは現在、6~7歳の子どもだけで旅行する場合、出発空港の専用カウンターで保護者と手続きを行います。また、到着空港で迎える人の情報も事前に登録する仕組みになっています。

ANAでも5~11歳の子どもだけの旅行をサポートし、出発・到着の両空港に見送り・出迎えの人を手配するよう求めています。つまり、「親が空港まで送り、子どもだけ飛行機に乗り、到着地で親戚が迎える」という基本形は現在にも引き継がれています。

昔と今では安全管理や手続きの見え方が違う

基本的な旅行スタイルは似ていても、現在は事前申込書、連絡先、見送り・出迎え人の確認など、手続きがウェブサイト上でも詳しく説明されています。そのため、保護者がどのような準備をするのかを事前に把握しやすくなっています。

例えばJALは現在、申込書に出迎え人と見送り人の氏名・電話番号などを記入する仕組みを用意しています。[JAL公式・一人旅申込書参照]

昭和の体験談では「小学生が一人で飛行機に乗った」という部分だけが記憶として残りやすいものの、実際には空港スタッフや客室乗務員、出発地の保護者、到着地の親戚という複数の大人によって支えられた移動だった可能性があります。

まとめ|1982年にも小学3年生の飛行機一人旅は十分あり得た

1982年ごろに小学3年生が伊丹空港から一人で飛行機に乗り、地方に住む親戚の家へ毎年遊びに行っていたという話は、当時として不自然なものではありません。子どもの一人旅を航空会社が支援する仕組みには長い歴史があり、夏休みなどの帰省で利用されるケースがありました。

ただし、「当時の小学3年生なら一人で飛行機に乗るのが当たり前だった」という意味で普通だったわけではありません。家庭環境や目的地、航空運賃、子どもの性格によって利用するかどうかは異なります。

また「子ども一人」といっても完全な単独旅行ではなく、親が出発空港まで送り、航空会社が搭乗を支援し、到着空港で祖父母や親戚が迎えるという形が中心です。現在もJALやANAには同様の一人旅サポートがあり、小学生だけで国内線に乗ること自体は今でも可能です。

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