映画や戦史では、沈みゆく軍艦の艦長が艦橋に残り、「艦と運命を共にする」という場面が描かれることがあります。そのため、戦艦や軍艦の艦長には「沈没するときは必ず船と一緒に死ななければならない」という規則があったようにも見えます。
しかし、艦長には必ず艦と一緒に死亡しなければならない、という世界共通の規則が存在したわけではありません。重要なのは、艦長・船長には最後まで指揮を執り、乗員や乗客の安全確保、艦の処置などを行う重大な責任があるという点です。「最後まで責任を果たすこと」と「必ず死ぬこと」は別です。
また軍艦と客船では適用される制度が異なり、国や時代によって規則も変化します。日本の民間船についても、かつては船長の最後退船を明文で定めていましたが、現在の船員法は異なる規定になっています。
「船長は船と運命を共にする」は死亡義務ではない
英語圏でも「The captain goes down with the ship」という有名な表現がありますが、本来の核心は、船長が危険になった瞬間に自分だけ逃げるのではなく、乗客・乗員の避難や船の安全確保について最後まで指揮責任を果たすという考え方です。
船が沈没すると決まった場合でも、救命艇への退船が完了し、必要な処置を終えた後に艦長自身が退船できる状況なら、生き残ること自体が職務違反になるわけではありません。軍艦なら沈没前に総員退艦を命じ、艦長もその後に救助される例があります。
一方、戦時には「捕虜になるより艦と共に沈む」「自ら指揮した艦を離れない」という軍人としての名誉観や個人的判断が強く作用した例もあります。そこから「艦長は必ず艦と一緒に死ぬ」というイメージが形成された面があります。
旧日本海軍でも艦長が必ず沈没死したわけではない
第二次世界大戦の日本海軍を見るだけでも、対応は一様ではありません。米海軍歴史遺産司令部のミッドウェー海戦に関する記録では、空母「蒼龍」の柳本柳作艦長や「飛龍」の加来止男艦長は艦と運命を共にする道を選んだとされています。[参照]
ところが「赤城」の青木泰二郎艦長も当初は艦に残ろうとしたものの、乗員が再び艦へ戻って説得し、最終的には退艦しています。つまり同じ海戦、同じ海軍でも「艦長なのだから絶対に沈まなければならない」という機械的な運用ではありませんでした。[参照]
戦艦「大和」の最期では、米海軍歴史遺産司令部の記録によれば、有賀幸作艦長は艦に残り、伊藤整一第二艦隊司令長官も退艦せず戦死しました。これは「艦と運命を共にした」代表的な例ですが、それをそのまま全軍艦の艦長に共通する絶対的な死亡義務と解釈するのは正確ではありません。[参照]
日本の民間船には昔、本当に「最後に退船」という法律があった
興味深いことに、日本の民間船については、かつて「船長が最後に船を去る」という考え方が法律に明記されていました。日本船長協会によると、旧船員法第12条は、船に急迫した危険がある場合、船長が人命・船舶・積荷の救助に必要な手段を尽くし、旅客や海員などを船から去らせた後でなければ自ら船を去ってはならないとしていました。[参照]
しかし、この規定は1970年の船員法改正で変更されました。現在の船員法第12条は、「船長は、自己の指揮する船舶に急迫した危険があるときは、人命の救助並びに船舶及び積荷の救助に必要な手段を尽くさなければならない」と規定しています。現在は「全員を去らせた後でなければ船長は退船できない」という文言そのものはありません。[参照]
さらに現行船員法第11条には在船義務があり、船長はやむを得ない場合などを除き、代わりに船を指揮する者へ職務を委任せず船を離れることはできません。つまり現代でも船長の責任は非常に重いものの、法律が船長に殉死を要求しているわけではありません。
なぜ昔は艦長が船に残ることが名誉とされたのか
船は陸上の施設と違い、事故が起きたからといってその場から全員が簡単に逃げられるものではありません。特に無線や救命設備が未発達だった時代には、船長の判断が乗員全体の生死を左右しました。
そのため「自分だけ先に救命艇へ乗る船長」は、職責を放棄した人物と見なされやすくなります。反対に、乗員を逃がした後まで船に残る船長は責任感の象徴となり、結果的に死亡した場合には英雄的に語られました。
軍艦の場合はこれに軍人としての名誉、敵への降伏や艦の鹵獲を避けるという事情も加わります。しかし、沈没が決定的になった後まで艦長が残って死亡することが作戦上必要とは限りません。残存乗員を率いて生還することも軍人として重要な任務です。
「真っ先に逃げた船長」は実際にいたのか
船長が乗客より先に船を離れて激しく批判された事故は実際にあります。特に有名なのが、2012年にイタリア沖で座礁・転覆した大型客船「コスタ・コンコルディア号」です。事故では32人が死亡しました。
フランチェスコ・スケッティーノ船長は、まだ多数の乗客・乗員が船内に残る中で船を離れたとして強い批判を受けました。現場ではイタリア沿岸警備隊の担当者が船長に対して船へ戻り、避難誘導を指揮するよう命じたことで世界的に知られることになりました。
その後、スケッティーノ船長は過失致死、海難を引き起こした責任、乗客を残して船を離れたことなどについて有罪となり、最終的に懲役16年の判決が確定しました。[参照]
この事件が問題になったのも、「船長なら絶対に船と一緒に死ななければならない」からではありません。救助・避難が続いており、指揮を必要としている段階で船長が船を離れたことが大きな問題だったのです。
「最後に退船」と「船と一緒に沈む」は分けて考える
この問題を理解するうえで最も重要なのは、「船長は最後まで船を指揮する」という原則と、「船長は船と一緒に死ぬ」という考えを分けることです。
| 行動 | 意味 |
|---|---|
| 乗客・乗員より先に逃げる | 避難や救助の指揮を放棄すれば重大な問題になり得る |
| 避難を指揮して最後の段階まで残る | 船長に期待される基本的な責任と整合する |
| 必要な処置後に船長も退船する | それ自体は「卑怯」でも職務放棄でもない |
| 沈没する艦に意図的に残る | 歴史上実例はあるが、普遍的な死亡義務とは別 |
軍艦の場合は軍規、上官からの命令、戦況、機密保持、艦の処分などの事情もあるため、民間客船より複雑です。それでも「キャプテンになった以上、沈没時には必ず死ぬ」という単純な決まりとして理解するのは適切ではありません。
まとめ:艦長の義務は「死ぬこと」ではなく最後まで指揮責任を果たすこと
戦艦や軍艦の艦長が「船と運命を共にする」という話には、多くの実例があります。旧日本海軍でも「大和」「蒼龍」「飛龍」など、沈没する艦に残った艦長がいました。しかし同じ日本海軍でも退艦して生還した艦長がおり、艦長だから必ず沈没死しなければならないという普遍的な規則だったわけではありません。
日本の民間船では、旧船員法に船長の最後退船を明確に求める規定が実際に存在しましたが、1970年に改正されています。現在の法律は、人命・船舶・積荷の救助に必要な手段を尽くすことを船長に求めています。[参照]
コスタ・コンコルディア号の船長が「船に戻れ」と命じられたことも、この違いをよく示しています。問題なのは船長が生きて退船したことではなく、まだ多数の人が危険な船内にいる段階で指揮の場を離れたことでした。
したがって「船長は船と一緒に死ぬ」という有名なイメージは、法律・軍規・海の伝統・名誉観が混ざって生まれたものと考えるのが適切です。現代的に表現するなら、船長に求められるのは殉死ではなく、非常時にも最後まで責任ある指揮を行うことだといえます。


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